ついに昨日、初めての緊急事態宣言が発令され、世間はコロナで大変なことになり、
忘れられがちですが、今日、4月8日はお釈迦様の誕生日です。
お釈迦さまの誕生日「はなまつり」
毎年、お釈迦さまのご誕生をお祝いする「はなまつり」が全国各地のお寺で開催されています。
ご誕生の時に天から甘露の雨が降り注いだことにちなみ、
お釈迦さまの像に甘茶をかけてお祝いするので「灌仏会(かんぶつえ)」ともいわれます。
このはなまつり、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で今年の行事はほとんど中止になっていることと思います。
お寺には甘茶をかけるお釈迦さまの像が設置されていますので、
お寺に来た際はお祝いしてくださいね。
花と言えば、もう少し見ごろが続く桜ですが、広島市でもコロナの影響で花見の自粛が呼びかけられ、
平和公園などの花見の名所は例年とは違う光景となっていますね。
毎年、多くの花見客でにぎわう平和公園では、場所取りのシートはなく、人の姿はまばらな一方で、
寺町の川沿いは人がたくさん集まり、多くの花見客でにぎわっていました。
品龍寺の門徒さんも、花見を兼ねてお墓参りに来られるかたがたくさんおられました。
この寺町の川沿いの桜、どこまでも続く、川と桜の風景がとても綺麗で、
この景色を見るとワクワクし「春が来たなあ」と実感できます。
日本人が大好きな桜の美しさ
桜は、周りに葉をつけることなく、桜の木一面が薄いピンク色なります。
満開の桜の花は、日本人が大好きな光景で、日本の美しさの象徴とも言えます。
桜の花びらは散るのが早く、今日満開でも、夜の風雨が強ければ見ごろを終えていることもある。
「明日、どうなるか分からない」という命のはかなさが私たちをひきつけているのかもしれません。
なんとも言えない薄ピンク色の花びらが舞い散る光景はどこか寂しくもあり、しかし美しくとても幻想的に感じます。
満開の桜も美しいですが、散った花びらも美しく感じるようになってきました。
この桜、昔より、人に愛されていたことが分かります。
昔から日本人は桜を「いのち」と例えることも多く、
例えば、
江戸時代の曹洞宗のお坊さん、良寛和尚の句です。
「今どんなに美しく綺麗に咲いている桜でも、いつかは必ず散る」というよう意味です。
桜も人も、同じように限られたはかない「いのち」ということです。
また浄土真宗を開かれた親鸞聖人は9才の時、
と読まれました。
「明日が当たり前にあると思い込んでいる私たちは、
いつ散ってしまうかもしれない桜の花のようです。
夜に嵐が吹こうものならもう見ることはできません」
9才の時、お坊さんになるために青蓮院の慈鎮和尚を訪ねた際、
「今日はもう遅いから明日にしよう」と言う慈鎮和尚にこの歌を読み、
その日のうちに得度(お坊さんになる儀式)を願われたと言われています。
この2つの歌からは、今生きている自分の命を「どうやって生きるか」ということを教えられます。
根拠なく、「自分は死なない、コロナにはかからない」と思っている人には是非覚えてもらいたい歌です。
世界中がコロナウイルスに脅かされている今こそ、そのことに気付き、感謝の気持ちを持って生活することが大切なのではないでしょうか。
明日はないかもしれない、コロナにかかるかもしれないと思い、一人ひとりが「今できる事をやろう」と、
後悔しない選択をし続けることが大切なのではないでしょうか。