品龍寺ブログ
大雨に思うこと(2020年7月6日)

 

 

全国的に大雨になっています。

 

ここ広島でも大雨洪水警報が発令されました。

 

携帯には緊急速報が次々と入ってきます。

 

広島市中区の一部には速やかに全員避難するよう避難勧告が出ており、速報の音が鳴るたびにビクビクしております。

 

小学生の子ども達も授業が短縮になり、ずぶ濡れになりながら帰ってきました。

 

2年前に起きた「平成30年7月豪雨」の時のような雰囲気になってきました。

 

あの時の記憶が鮮明によみがえるほど降っているためどうしても悪い予感がしてしまいます。

 

何もなければ良いのですが。

 

 

熊本県の球磨川流域を中心に広範囲で冠水や土砂災害などが発生しました。

 

まず、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 

九州各地では本日6日も雨が続いており、被害がさらに拡大する恐れもあります。

 

熊本県人吉市には、「本願寺人吉別院」がありますが、球磨川流域のため、大変な被害を受けているようです。

 

鎌倉時代から明治時代まで、肥後国球磨地方を統治した相良藩は、代々にわたり浄土真宗の教えを禁じました。

 

藩による念仏禁制(浄土真宗禁制)は360年以上続けられ、明治にようやく解禁となり、解禁後初めて出来たお寺です。

 

人吉はお念仏の教えを弾圧されながらも密かに信仰してきたという苦難の歴史がある場所です。

 

長い不遇の時にも信仰を守り抜いた方々の不屈の思いが、脈々と受け継がれているところです。

 

人吉のみなさまには大変な状況ですが、みなさまの安全と被災地の一日も早い復興を心より願っています。

 

被災地が「かわいそう、もうこれ以上はやめて」といっても自然相手にはどうすることもできません。

 

ちょうど2年前の西日本豪雨で得た教訓や学びをしっかりと生かして行動したいものです。

 

 

 

「~だろう」と「~かもしれない」の考え方

 

昔、教習所で教えてもらったことがあります。

 

「人はいないだろう」「車は来ないだろう」というだろう運転をしている人が事故を起こしやすいと。

 

一方、「人がいるかもしれない」「車が来るかもしれない」と危険予測をしながら運転する人は事故を起こす確率は低いそうです。

 

私たちの人生も全く同じことがいえると思います。

 

「大丈夫だろう」と思って生きていると思わぬ落とし穴に落ちてしまうことになります。

 

「私はまだ死なないだろう」ではなく、「いつ死ぬか分からない命を生かされている」ことを自覚しながら生きていく必要があります。

 

災害の際にも、2年前の豪雨や去年の台風を経験し、自分たちの住んでいる地域のハザードマップ確認し、

 

普段から避難行動の計画を立てておくことが大切です。

 

災害心理学で「正常性バイアス」という言葉があります。

 

被害が予想されている状況でも、「私だけは大丈夫だろう」「ここだけは大丈夫だろう」と逃げ遅れてしまうのだそうです。

 

「もしかしたら危ないかもしれない」と避難の備えをするだけでも助かることもあります。

 

他人事ではなく自分のこととして捉えることが必要です。

 

以前、関東での災害や、2年前の豪雨の時にボランティアに行かせてもらいました。

 

災害に遭った方が口々に語ってくれたことはみな同じでした。

 

「危ない」「怖い」と思った時には、既に避難できない状態であったそうです。

 

危ない、怖いと思ったときに避難しようと考えるのがそもそも間違いだったということでした。

 

では、どうするか。避難勧告が出たらこうするとか、避難指示が出る前に避難する等、決めておき、シュミレーションするしかありません。

 

実際、安全に避難出来た方は「まあ一応避難しておこう」くらいで危機感は感じなかったという人もいました。

 

 

 

100年に一度、50年に一度の災害が毎年起きるようになってきました。

 

今後こういった異常気象が異常じゃなくなることは目に見えてわかっています。

 

毎年日本のどこかで水害が起こっています。今は安全な地域でも明日はわかりません。

 

線状降水帯という言葉、数年前からよく耳にするようになりました。

 

今年だけ特別とは考えずに、来年同じ事になっても対応できるように準備が必要なのだと思います。

 

新型コロナウイルスとのダブルパンチですが、どうか少しでも犠牲者が少なく、早く雨が過ぎることを願うことしかできません。