品龍寺ブログ

桃田選手の山あり谷あり人生

 

 

優勝した桃田選手(右) 総合バドミントンサイトより

 

 

 

昨日、ニュースを見ていると、バドミントンの桃田賢斗選手がマレーシアで

交通事故にあったことが報道されていました。

運転手さんが亡くなるなるほどの大きな事故で、このニュースにとてもショックを受けました。

  前回のリオ・オリンピック前の2016年4月、違法賭博店に出入りしていたことが発覚した桃田選手、

無期限の出場停止処分を受け、金メダル候補でありながらオリンピックに出場できませんでした。

しかし、復帰後には世界選手権2連覇を達成するなど復活を果たし、

東京オリンピックでの金メダルが期待されています。

事故の前日、マレーシア・マスターズでも圧倒的強さを見せ、見事に優勝し、

東京五輪への期待が膨らむというニュースを見たばかりでした。

桃田選手にはこの事故による影響に負けず、早期回復と、東京五輪での活躍を願っています。

 このニュースを見た時に、本当に「人生何が起こるか分からない」と感じました。

 

禍福(かふく)はあざなえる縄のごとしと古語にあるように、

幸と不幸とは背中合わせ、表裏一体なのだと改めて思い知らされました。

  仏教でも「諸行無常」と言い、人生なにが起こるかが分からないことを説いていますし、

仏教を開かれたお釈迦さまは「人生は苦なり」ともいわれています。

人間には逃れることの出来ない「四苦八苦」という苦しみがあり、

寄せては返す波のように私たちを次々に襲ってきます。

もちろん、苦しいばかりの人生ではありませんが、

私たちから悩みや苦しみが無くなることはありません。

その諸行無常の人生をどう生きていくのか、

どう乗り越えていくのかの指針になるのが仏教の教えであると思います。

 

 

 

 

 

 

「タテヨコ思考」とお寺の存在意義

 

 

物事を判断するときや、自分の身に起こったことを受けとめる時に

「夕テヨコ思考」が役に立ちます。

 「夕テ=過去の人の見方」と

「ヨコ=他の人の見方」です。

 

ヨコとは、テレビや新聞、他の人と話すことで、自分以外の考え方を知ること、

夕テは、本を読んだり、仏教のお話を聞くこと、故人の足跡をたどること

 だと思います。

 

インターネットが発達した現在では、「ヨコの思考」は難しくはありません。

しかし、その一方で、本を読んだり、歴史上の偉人や、成功者の考えを知ることは

なかなか難しいことです。ましてや、お釈迦さまの教えを聞くことはなかなか無いことだと思います。

 

私たちは、お釈迦さまになることは出来ませんが、お釈迦さまの考えを知り、

お釈迦さまの教えを聞くことによって、ありのままの現実を受けとめることが出来ます。

それが「タテの思考」であり「苦しみを乗り越える道を見つける」ということだと思っています。

 

お寺に来られるかたの中で、

 「大切な方の死を通して、品龍寺さんとご縁ができて、仏教の教えに興味を持った」

 と言ってくださる方がおられます。

人の死はとても悲しく、苦しいことです。

しかし、その苦しみを受けとめ、

亡くなった方をご縁として

仏教の教えに出会われていく姿を見ると

本当に尊く、ありがたい気持ちになります。

 

「苦しみを乗り越え、幸せな人生を送ってもらえること

 にお寺が少しでも役に立つのであれば、

こんなに嬉しいことはありません。

それこそがお寺の存在意義だと思いますし

「お寺が悩みや苦しみの原因になる」

 ことは絶対あってはならないことだと思います。

 

 

 

 

「禍福(かふく)はあざなえる縄のごとし」

 

 

昔の人は本当に上手く言ったものだと思います。

この古語の意味は、一本の綱は2本の縄から出来ており、

ひとつの縄を福(幸せ)とし、

もうひとつの縄を禍(不幸)とします。

その二つの縄をより合わせるとひとつの太い縄になります。

人生とは、まさにこの縄のようなものだと言うことです。

 

私達の人生は、幸せと思える時、悲しみに打ちひしがれる時、さまざまな時があります。

幸せのときには、調子に乗らず、気をひきしめて過ごし、

苦しいときは、いつかは笑える日がくることを信じて過ごしたいものです。