寒暖差の激しい日がございますが皆様、いかがお過ごしでしょうか。
私は最近いろいろなことがありすぎて少し落ち込んでいます。
特につい先日、とても悲しいことがありました。
長男のクラスで一番仲の良い子で同じサッカーチームにも所属している友達のお父様が亡くなられたのです。
53歳という余りにも早すぎる死でした。
家族の前で急に倒れそのまま息を引き取られたそうです。
突然の訃報を聞いて頭が真っ白になりました。
サッカーの試合や練習の時にお話させてもらいましたが、
子煩悩なお父さんでお二人の息子さんをとても大切にされ、
誠実な優しい目がとても印象的な人でした。
サッカーの試合中、私は前に出て大きな声を出して応援していましたが、
そのお父さんは後ろのほうで微笑みながら静かに息子さんを応援されていました。
私とは正反対の物静かで穏やかで上品なまるで大きな木のような人でした。
家族ぐるみで交流があったため、息子と妻と私の3人でお通夜に参列させていただきました。
僧侶という立場でお通夜やお葬式の導師をすることは多いですが、
お通夜に参列したのはとても久しぶりのことでした。
お通夜には二人の息子さんのクラスメイトやサッカーチームの友人、
保護者のかたがたくさん来られ、広い会場に入りきれず、
多くの人が会場の外で立ったまま参列されていました。
保護者の方はもちろん、小さな子ども達も涙を流している姿に
そのお父さんの偉大さや人柄を感じることが出来ました。
お坊さんの読経が終わり、喪主である奥さまの挨拶の時に、
お二人の馴れ初めや、どんなお父さんだったかのお話を聞かせてもらいました。
普段、お通夜や葬儀を執り行う際は絶対に泣かないと気合を入れていますが、
奥さまのお話を聞き、どれだけ無念だろうと、思わず号泣してしまいました。
息子は最初、お父さんを亡くした友達になんて声をかけたらいいか、迷っていましたが、
最後に友達と抱き合って、一言「学校で待ってるよ」と伝えたそうです。
お通夜でこんなに泣いたのは人生で初めてのことでした。
僧侶である私がお通夜やお葬式の時に気を付けていることがあります。
ひとつは「すべての式は一度きり」だという事、
ご遺族からしてみると愛する人のたった一度の大切な式であることを常に意識しています。
もう一つは「泣かない」事です。大切なお経を読む時に声を詰まらせても、
お経を止める事も絶対にあってはいけません。
読経中に泣いてしまうことは、僧侶として失格だと思っています。
それでも、遺族にお話をするときはつい声が詰まることは何度もありますが・・・。
僧侶という立場では無く、一人の参列者としてお通夜に参列したときに
こんなにも悲しく苦しいのだと改めて思い知らされました。
もちろん、故人様との関係性やお人柄によって変わるかもしれませんが、
本当に改めて多くの気づきを与えられました。
奥さまの立派な挨拶の最後に、
我が家には
「兄弟仲良くすること」「家族が協力すること」「お母さんを助けること」
という家訓がありますが、
「お父さんのような優しい人になること」
という家訓が1つ増えました
という言葉が、頭から離れません。
このお父さんのこと、いつまでも忘れません。
これからはあの温かく優しい目で見守ってください。
私も息子の友人として、大切な息子さんを陰ながら応援させてもらいます。